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1節 芸大受験産業の歴史的意義
本論文では、芸大受験産業の歴史的意義を分析してきた。第一章と第二章では、第二次世界大戦までと、それ以降の芸大受験産業の歴史をそれぞれ分析した。
第一章では、東京芸大の油画専攻が、設立時より西洋美術摂取の窓口として機能してきたという事を検証した。東京芸大における教育とは、西洋美術の摂取とほぼ同じ意味を持っていた。しかし、東京芸大が摂取しようとした西洋美術とは、価値の原点を「自律的創造者」という概念に置くものであり、模倣=教育とは対極に位置するものであった。西洋美術に倣って「個性」や「創造性」を希求すればする程、最終的に作られる美術作品は精巧な模造品となってしまう。ここに東京芸大の油画専攻が囚われる根本的な矛盾が生じた。
第二章では、東京芸大が1970年代の入試改革と1980年代の授業改革により、従来行われていたデッサン教育を放擲していった経緯を検証した。その結果、東京芸大の油画専攻は制作様式や素材の自由を認める「現代美術科」へと変貌し、自らを「創造的な教育機関」として演出しようとした。しかし、デッサン教育は決して美術教育そのものから放擲されたわけではなく、美術予備校という機関で引き続き行われていた。
これらの事例から、筆者は、東京芸大は模倣訓練の期間を創作活動の期間と切り離し、前者を美術予備校に肩代わりさせ、自らは教育を放棄したかのような立場を取ることで、本来ならば実現不可能である「創造的な教育機関」として自らを抽象化しようとしたのではないか、という仮説を立てた。
そして第三章と第四章では、この仮説の妥当性を検証するために、予備校の教育と、学生や教員の芸大受験産業に対する意識を、それぞれ検証した。第三章では、予備校によって行われている教育が、個性的な絵の描き方を教え込むというものであり、学生による絵画作品の制作が規格化されているという事を確認した。また、第四章では、学生や大学教員が、予備校の教育に対して嫌悪感を抱いているにもかかわらず、制作費を稼ぎ、創作活動を継続するために、予備校で講師として働いているという事も見た。
その結果、予備校と東京芸大によって、模倣訓練と創作活動の分業が明確に行われているのみならず、学生が双方の機関で教育を受けることで、かつては東京芸大が抱えていた「アカデミズム」と「ボヘミアニズム」の対立を、学生個々人が受け止めなければならないという事態が発生している、ということが判明した。
我が国における「自律的創造者」の概念は外部から輸入された概念であり、またその体現者たる東京芸大の立場は、美術を「教育」する予備校との相対関係で初めて抽出されるものである。このことが示しているのは、これまで本論文で扱ってきた「創造性」や「個性」という概念が、それ自体で固有の意味を持つものではなく、また作品に内在する価値でもなく、作品の外部に存在する社会的なコンテキストによって初めて規定される、ということである*1。創造性がコンテキストに依存する価値であるからこそ、東京芸大は徹底的に予備校を否定し、また自らの存在を創造者という前提で語ってきたのではないだろうか。そして、個性や創造性が所与の概念として扱われ、特別な価値を付託されることで、東京芸大と美術予備校との間に縦の序列が生まれ、芸大受験産業の体制が維持されてきたのではないか。
2節 今後の課題
今回の筆者の論文は、芸大受験産業の大きな仕組みを明らかにすることで、その歴史的意義を考察したものであるため、重要な点でありながら割愛せざるを得なかった点がある。以下、今後の課題としてこれらの点を指摘する。
第一に、ジェンダーの問題が挙げられる。本論では、芸大受験産業の全体的な構造を把握することが目的であったため、インタビューを行った相手の男女の区別はとくに行わなかったが、東京芸大油画専攻の受験者の男女別統計を見ると、1989年の段階では男性1,062名、女性1,043名だったのが、1990年には男性1,026名、女性1,092名と、女性の数が男性の数を上回っている。この傾向はこの後1990年以降一貫して続き、2003年では男性690名、女性1,282名と女性の受験者が男性を圧倒している。しかし、合格者の男女比を見ると、1996年までは男性の方が合格者数が多く、入試倍率で見ると、1996年までは男性がおよそ30倍なのに対して、女性は50倍から60倍と、明らかな不均衡が生まれている。さらに、東京芸大の教員を見ると、2004年現在で油画専攻の教員に任命された者に女性は一人も含まれていない。同様の傾向は予備校にも現れており、予備校の講師は8割から9割が男子で占められている。このように、芸大受験産業は男性が生き残る確率が高くなっており、「教える男性、教わる女性」という現象が生じている。こうした性差に基づいた階層化の問題は、芸大受験産業の成立そのものと深く結びついていることが予想されるため、今後の研究課題としたい。
もう一つの課題は、海外の美術教育機関との比較研究である。「自立的創造者」の概念が西洋で創られたものであっても、それが教育の効果を否定する概念である以上は、西洋に存在する美術教育機関も「創造」と「教育」の矛盾からは逃れられない。これをどのように解決、ないしは受け止めているのか。また、日本で東京芸大を卒業ないし修了した学生が海外の美術教育機関に渡航する事例が非常に増えているが、彼らが何故海外に渡り、そこで何を学び、模倣教育という自らの出自をどのように受け止めているのか。そして、彼らの存在が東京芸大の権威にどのような影響を与えているのか。美術予備校も学生の海外志向には無関心ではなく、2002年よりすいどーばた美術学院は「海外美術大学留学コース」を設立した。この流れはまだ緒に就いたばかりだが、近い将来、芸大受験産業が国際的な分脈の中で再編成をされる可能性がある。その時に、予備校が培ってきた模倣訓練による個性の教え込みが、どのような眼で海外から見られるのか、また、東京芸大の権威はどこまで維持されるのか、という点が問題となろう。
これらの点は、芸大受験産業についての洞察を深める上でも重要な点であり、今後の研究課題としていきたい。
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脚注
*1
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序論でも確認したように、この見解は多くの先行研究によって支持されてきたものである。Becker (1982); Galenson and Weinberg (2000), pp. 760-77を参照。
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